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偉人の名言から学ぶ、人生・仕事・学習の成功哲学10選

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あけましておめでとうございます!
新年を迎えた1月1日にこの記事を書いています。
今日は1年のスタートに、世界の偉人が残した名言などいかがでしょうか?

自分の成長を加速させてくれる。
弱った気持ちや悩みを解消してくれる。
学習意欲を高めてくれる。

もしかしたら、そんな珠玉の言葉と出逢えるかも。
全部で10個ありますので、気になるところだけつまんでください。

これからご紹介する名言は、私自身が実際に参考にさせてもらってきたもの。
全部をひとつのノートに書きためておいたのですが、せっかくならもっと多くのかたに触れていただいたほうが良いと思い、記事に落とし込むことにしました。

名言に添えて、当時の私なりの解釈や実体験を追記しています。
そこが役立つかはわかりませんが、名言について考える参考程度にご覧ください。

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1.私は頭がいいのではない。問題に取り組む時間が人より長いだけだ。

アルバート・アインシュタイン(ドイツの理論物理学者)

全てはもののとらえかた次第。
何かの困難にぶつかったとき、それを問題ととらえるかチャンスととらえるか。
真に賢い人は出会った問題をトラブルやピンチと思うのではなく「考えるチャンス」「勝利を見せつけるチャンス」ととらえ、誰よりも時間をかけて取り組み、誰より明晰な答えを導き出して他人と差をつける。それをまわりは「頭がいい」と評価するのだ。

問題との遭遇はビッグチャンスだ。
そう考えて、存分に時間をかけて楽しむといい。

仮に問題がない状態だとしたら、それはとても寂しいことだ。
取り組むべき課題がない。平坦で、なんら波打たない日々。凪のような海。
問題がないということは、成長するチャンスすらないということ。

問題への向き合い方が極めて前向きである印象を、この言葉から感じる。
常に問題に前向きに取り組み、数々の発明をし、彼は天才と称された。

2.自分について真面目に考えれば考えるほどささいな点が気になる、というのは不思議な事実である。

オスカー・ワイルド(アイルランドの劇作家) 

これは不思議とは思わないものの、理解できるし納得もする。
人間は特に自分自身については不必要に悩みすぎである。

悩みすぎ、それはつまり誰よりも多く自分自身について思考を巡らせた紛れもない事実の裏返しでもある。

これは批判についても同様のことが言える。
どんなに完璧に思えるものでも、アラを探せばいくらでもぼろは出てくるものだ。
非難・批評をすることは簡単で、とにかく対象のちょっとでも良くなさそうな部分を見つけたら、そこを誇張してつついていけばいい。

完璧主義者が挫折しやすいのもいい例で、必要以上につっこんだ深い思考や深追いはオスカーの言う「ささいな点」が気になって終わりがない。
その結果、完璧主義者はたいていの場合、潰しきれない「ささいな点」に打ち負けてガックリと膝をつくのである。

考えすぎて動けなくなっては元も子もない。
当然その先の成功もない。

大切なのは腹8分目
真面目に考えすぎず、やや不真面目くらいがちょうどいいバランスかもしれない。

3.至上の幸福に従え。さすれば壁しかない所に世界は扉を開いてくれる。 

ジョーゼフ・キャンベル(アメリカの神話学者)

《独立を決めたときの実体験》
サラリーマンを10年続けた32歳の頃、大きな決断の元で揺れていた。
すでに転職を10回経験しているその時、そのまま会社に勤め続けるか、それとも独立するかの決断だ。

当時、会社のある特定の人間関係に、多大なストレスを感じていた。
ひとつのビッグプロジェクトにパートナーとして取り組んだセールス(営業)担当の男だ。
彼はその会社より2つほど前の会社の時の知り合いで、彼の実力を買って私がスカウトをし、同じ会社へ鳴り物入りで引き込んだ人物だった。

つまり100%彼を信用していた。
そして願い通り彼はどんどん頭角を表していった。

彼が営業担当、私が案件の制作進行(ディレクション)担当でつくりあげることになったイーコマースサイト制作。ここで彼は私の信頼を一気に失うことになる。

理由はシンプル。会社の利益最優先でクライアントの要望も気持ちも度外視したからだ。
私は全ての作品はクライアントの満足あってのことだと考えていた。クライアントのニーズに応えられないで「予算が足りないから」と制作にかけるコストを引き下げたのである。
もちろん断っておくとその当時のクライアントは決して無茶ぶりをしてくるモンスターではない。

結果として、クライアントもしぶしぶ苦笑いの状態でウェブサイトは完成した。
営業担当は予算を決める最初のうちだけクライアントと顔を合わせるのみだったが、ディレクション担当の私はサイト完成まで毎日毎日顔を合わせて、ああでもないこうでもないと、サイトを最高のものにしようと苦心していた。
クライアントの本当の気持ちを痛いほど感じていたし、その実情を何度も営業担当及び会社に直訴したが、それを彼らがくみ取ることはなかった。

当時の私は現場でクライアントと直接ものづくりをするのが最高に楽しかった。社会人として失格なのだろうが、本当に予算などどうでも良かった。成果と報酬というのは最高のものづくりに後からついてくるものだと確信していたからだ。

そして当時の『至上の幸福』に従い、会社を辞め独立の道を選び、自分の信じるやりかたでビジネスをやることにした。
以来、一度たりともサラリーマンに戻りたいと感じたことはない。
『お金じゃなくて、最高のものづくりを考える』この信念の元で働けることが幸せだからだ。予算が合わなくたって、楽しく仕事ができて、クライアントが喜んでいればそれが何よりの報酬で、そこで得た信頼は次の大きな依頼を呼び寄せてくれる。

4.政治の起源は必ず若者の教育から始まっている。 

ピタゴラス(古代ギリシアの数学者・哲学者) 

「物事の根源(アルケー)は数である」といい、男は3、女は2、その和の5が結婚を象徴するなどといった具合になんでも数字で説明をしようとした彼は合理主義者である。

なんでも数で理解してしまうそんなピタゴラスも、この言葉で『若者への教育』がきわめて重要である旨を伝えている。
私としては人生は一生学びである点から、ここでいう若者は、とある物事に対しての初心者・ビギナーととらえる。
すなわちビギナー期の学びはとても大事なことなのである。

新しい考え方や新しい情報などを常にオープンな姿勢で受け止めるといい。
間口はなるべく大きくしておかなければならない。自分の吸収できる物事の範囲を限定してしまったら成長はそこでストップしてしまう。
それは大事なチャンスを逃す、大きなミスとなる。

合理的な見地を持ったピタゴラスも考える「学びに無駄はなし」。
そうであれば、一生学びに貪欲である姿勢も極めて合理的だと胸を張れる。

5.誠実に、簡潔に、腰を落ち着けて。

フランクリン・D・ルーズヴェルト(アメリカの第32代大統領)

彼は演説の名手でもあった。これは彼の演説の心得であり、非常に参考になる訓辞だ。
要点を抑えたトークは人に好かれる。

人生というものは、ひとつの長い演劇、パフォーマンスだ。
人とふれあう時、そのひとつひとつに必ず役者としての一面も必要となる。

胸に手をおいて考えてみるといいだろう。
少なからず、相手の気持ちを考慮したり、自分の意にかなう展開を期待して、行動を変えたり選んだことがあるはずだ。

世の役者やコメディアン、彼のような演説の名手などはみな人心を掌握する絶妙なコツというものを体得している。極めて秀逸で、人へのアクションの手本とするべきだ。

自分をひとりのパフォーマーとして自覚し、人生を進んでいく。
どうすれば観客が喜ぶのか、はたまた驚くのか、考える。
まず観客(相手)を知ることからまず始める。
これは孫子の「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。」にも通ずる精神だ。 

そして今度はその相手に対する最高のパフォーマンスを計算するのである。 
誠実に、簡潔に、腰を落ち着けて。
要点を抑えた最適な振る舞いは、必ず相手の心をつかむだろう。

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6.学んで思わざればすなわち罔(くら)し

孔子(中国の哲学者)

学んでも、考えを巡らせなければ物事ははっきりしない。

本を読んで、人の技を見て、学びに学ぶ。
学び続けたあとで、ふと自らの手を動かしてみると気づく。
自分はその学んだことを、実際にはまったくできないということに。

知ったつもりになっている、学んだつもりでいるのは危険だ。
『学んだ』という結果だけで前進すると、自分の適性や可能性、能力などをまったく無視してただがむしゃらに突き進むことになる。
そのがむしゃらに突き進んだものがまったく見当違いのこともある。

人生の貴重な時間を無駄に使ってしまうことのないように、時には立ち止まることも必要だろう。
立ち止まって、ゆっくりと思索にふけってみる。
学んだ内容をどう活かせるのか、それを活かす自分自身はいったいどんな人間、どんな性質なのか、自分にとっての向き不向きとはなんなのか、などである。

学びの後には必ず思考する。
思考は学びを何倍もの価値に飛躍させる鍵を握っている。

7.私は自分の無知を知っている。汝自身を知れ。

ソクラテス(古代ギリシアの哲学者)

ソクラテスは、本人の気は進まなかったが友人の勧めでアポロン神殿にお伺いを立てた結果「この世で一番賢いのはソクラテスだ」と巫女に告げられることになる。(神託)

なぜだろう?本当にそうなのか?納得のいかないソクラテスはその後、町であらゆる人々(政治家も芸術家も学者も)と毎日問答を繰り返し、自分よりも賢い人物を探していた。

しかしどんなに賢いと思われる、偉そうにしている人々も、いざ難しい問いを突き付けられ答えを知らないと、怒るか、あるいは知っているフリをするのである。
そこでソクラテスはようやく気付く。

「そうか、人々はみな己の無知に気づいていないのだ。なんでも知っていると思っている。問い詰めることでようやく己の無知を認める。その点、私はまだまだ全然物事を知らないが、自分が無知であることだけはよく知っている。ようやく神託の意味がわかった」

それから彼は独特の対話法を使い、町で若者をつかまえては問答をし、質問をどんどん繰り返して最終的に己の無知を気づかせるという啓蒙活動をおこない続けた。

答えは誰かに教えられるものではない。自分で発見することが大事だと説く。

汝自身を知れ。これは、どこまでも疑問を持つ姿勢を忘れず、決しておごらず、自分を探求することを忘れるなという趣旨のものである。

なお、彼は最期は死刑に服するが、ここも偉人らしい振る舞いだ。

死刑の理由は「町で若者をたぶらかし、腐敗させているから」というもの。 
決してそんなことはないのだが、変わった思想は難癖をつけて毛嫌いされてしまうのが世の常である。

友人は「国外逃亡をしよう、全て準備は整えてある」と申し出た。
ソクラテスはこういって断った。
「悪法もまた法である。不正に不正で対応したらどうなるか。逃亡という不正な手段を使ってしまえば、それはこれまでの自分自身の生き方そのものを否定することになるだろう」

面会に来た妻は「あなたは不正に殺されるのです」と訴えた。
ソクラテスはこう答えた。
「それならお前は、私が正当に殺されるのを願っているのか?」

多くの人心をつかんだソクラテスに、死をまねく毒杯を持ってきた執行人は「死刑囚というのはみな暴れたり罵ったりするというのに、あなただけはどこまでも静かで気高く、堂々としておられる。これが私の役目なのです、どうかお許しください」といって泣いたという。

この偉人のエピソードには、考えさせられずにいられない。

8.リーダーは、負けてもいいが不意を突かれてはならない。

ナポレオン(フランスの皇帝・軍人・政治家)

これは自らの敗戦の歴史を肯定するための言葉だろうか?
そうではない。
時には退くことも重要である、無茶がさらなる損害を生み出すことはよくある。

《人生で賢い撤退をした実体験》

私はフリーランスになって1年が過ぎた頃にいただいた案件で地獄を見たことがある。
しかもこれは、すでに炎上を始めている案件にログインしたのでタチが悪い。
簡単に言ってしまうと問題は『ディレクターのクソっぷり』にある。

とあるリアルイベントにも絡めたウェブサイトとアプリをつくる案件で、私はそこにディレクターではなくウェブデザイナーとして助っ人参入した。

クライアントの正確な要望が聞き出せない、そんな中でベトナムにいる制作チームに発注、国際間でもあるので制作が遅れるうえに、修正にも時間がかかる。
何ができて、何ができないのかもハッキリとクライアントに言えぬいわゆる「イエスマン」なディレクターで、制作スケジュールとリソースはどんどん無駄な作業に費やされていって、金だけかかってロクな製品が仕上がらない、最低な仕事ぶりである。

おまけにクライアントは、関西に住むとある富豪投資家から資金調達をしているバックグラウンドを持ち、成果が出せない状況は非常にまずい。
炎上は必然だった。

ここで私は、本件に制作側で関わっている要人に「ウェブディレクターを代行してほしい」という旨を依頼される。過去にウェブディレクションをやってきている実績を知っての事だった。

この要人は私のフリーランス稼業に非常に恩義のあるかただったが、この依頼だけは初めて丁重にお断りさせていただいた
失敗する未来が完全に見えていたからだ。ハッキリ言って、無駄に使われた製作費200万超、さらにクライアントに追加を要求することはできずそこから先は建て直しは全部制作側の実費である。

気が弱くなってしまって、Noが言えずにこの案件をもし受けていたとしたら、私はフリーランス稼業をスグにでも廃業しなければならなくなっていただろう。資金の少ない弱小フリーランスが勇み足で首をつっこんではいけないゾーンというものをしっかり把握していた。「ウェブデザインでのアシストなら良いが、ディレクションは後任しない」この判断は正しかったと今でも思っている。

なおその案件はもう1年も前のことだが、今でもそのウェブサイトやアプリといった成果物の、見た目や使い勝手は解消されていない。被害総額はどれだけ昇っているのだろう?

この訓辞は退くことを怖じない姿勢と、常に心は強く持つ姿勢の2つを説いている。

9.私が今の技術を身につけるまでにどれほど努力したかを知れば、誰も奇跡だとは思わないだろう。

ミケランジェロ(イタリアルネサンス期の芸術家)

彫刻家であり画家であり建築家、そして詩人であるミケランジェロは、レオナルドダヴィンチと肩を並べる『万能人』あるいは『天才』などと称される。
そんな彼が遺した、背中を押される言葉。
いかに人が後天的な努力で成長を遂げられるかを力強く証明している。

天才と称されるマイアミ・マーリンズのイチロー選手が、実は毎日の練習を欠かさない努力の人であることは有名な話である。
別の項目で出てきたアインシュタインの「問題に誰よりも長く取り組んだ」これにもまた通ずる。彼がそれを努力と捉えていたかは難しいところだが、人から見て長くひとつのことに取り組む忍耐や姿勢は一般的に「努力」と呼ばれる。
言い換えれば継続だ。継続した結果が、彼をまわりから天才と称されるまでにした。
努力=継続なのかもしれない。

土臭い努力を語るのが、たいした実績のない一般人の言葉では真実味に欠けてしまうところだが、このルネサンス期に数々の偉業を遺したミケランジェロが真っ向から『私の実力も努力によるものである』と言っているこの言葉は、努力が裏切らないことを証明する重要なファクターだろう。
奇跡は待ち望むものじゃなく、自ら起こすものである。

10.道に従ってはならない。道なきところを行き、足跡を残せ。

ラルフ・ウォルドー・エマーソン(アメリカの思想家、哲学者、作家)

開拓精神の訓辞である。 

人生は新しい刺激と発見の連続だ。それにより、人はどんどん成長し高みを目指すことができる。
誰もが経験のあることだが、例えば一度歩くことを覚えた私たちは決してハイハイに戻ろうとは思わない(特別な事情がある時を除いて)。
人は着実にステップを進めている。
昨日より今日、今日より明日。そして明日はその一歩進んだステップから見た世界で、さらなる高みを目指している。不必要に下がることはまずない。

成長に欠かせないのは、日々の中で出会う新しい発見だ。
発見は人間の知的好奇心を刺激する最高の素材であり、発見なしにいつまでも新しい刺激を感じることはなく、心が躍ることもない。
少なくとも興味関心のあるもののことなら、次から次へと知りたい欲求が自然と湧き上がってくるのは誰しも身に覚えのあるところだろう。

私たちの好奇心は、自分が思うよりずっと強い原動力になり得る。
そして発見の刺激は何にも代えがたい成長の糧である。

その発見は、すでに踏みならされた道の上を歩くだけでは無尽蔵には見つからない。
自ら、ワクワクできる新しいフィールドへ踏み出すべきである。
道がなければ、そこは全てが発見の連続だ。
そしてゆくゆくは、あなたが開拓したその道を歩く人たちが現れるだろう。

道を歩く人から、道を創る人になれ。 

 

最後のひとつに、自分の中の一番強い信念を持ってきました。
温故知新は基本ですし、とはいえ既存の概念にとらわれてもいけません。
いつまでもなぞるだけだと、あなたはその憧れている人の上には立てない。
どこかでなぞることをやめ、独自の道を行かなければ。

そこにはワクワクが満ちており、一歩一歩が勉強と成長になることでしょう。
いずれその歩みが、憧れの人をも超える唯一の可能性を生み出すことになります。

私も、尊敬する先輩が2人いますがいつかは、彼らの背中を見るんじゃなくて独自の道で超えたいなーと思っています。

小僧の戯言を最後まで読んでくださりありがとうございました。