フェルメールと岩井俊二監督。
どちらもとても好きな人なんですが、いったいなんの話かと。
テーマはずばり。
光の表現
岩井俊二監督がつくる映像作品を見ていて常々思うことは「なんて芸術的なんだろう」ということ。
劇中で使われる音楽もクラシカルでただただ純粋に旋律の美しいものが多く、音・空間・色・時間これら全てが芸術的に融合して完成している、というのが岩井俊二監督作品に対する基本的な感想です。
言葉のないシーンを埋める「間」の取りかた、シーンとシーンをつなぐ「間」。
そしてたいていのシーンで必ず「光」または「闇」が存在しているのが特徴的です。
これはドラマ「なぞの転校生」の何気ないワンシーン。
カメラによる写真撮影でいえば「白飛び」状態。
光の部分が真っ白になってしまうくらいに明るい。
そしてその手前にいる人物は若干の影がさし、暗くうつる。
しかし真っ暗になり表情が見えないというわけではない、絶妙なバランス。
服や髪が光を反射して輝いているのがまた、美しい。
こちらのシーン、これなんかも見事に背景が光っておりほぼ見えません。
そしてその光に照らされて輝くヒロインの髪。
これも監督は意図して狙っている美的効果のひとつだと思います。
このシーンは、なぞの転校生がピアノを弾いている場面。
転校生が弾くピアノの音色がそのままBGMになっているのですが、光と音が相乗効果を発揮し、美しいシーンです。
(こんなの言い出したらキリがないほど、岩井俊二監督の作品には芸術的な場面ばかりで構成されています)
岩井俊二監督の他の作品「花とアリス」でも、あらゆるシーンで光が意識され映像演出に活用されています。
「花とアリス」では暗闇を有効活用したシーンもあります。
おもに主人公たちがバレエをしながらはしゃいでいるところですが。(具体的)
さらにこちら、AKB48のかなり昔のシングル曲ですが岩井俊二さんが監督をしています。
暗闇、暗闇にともる光、まばゆい太陽の光(白飛びするくらいの)、または極めてフラットな色合いの曇り空とそこに映るこれまた色味がマットな人物。
暗い・ふつう・明るいのこの3パターンは岩井俊二監督の作品によく観られる特徴です。
この明度の使い分けが美しい。
その他、リリイ・シュシュのすべて。
そして映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」でも、その明暗の使い方や空間、間の取りかたなどには独特の個性があり、総じて芸術的で美しく、一瞬で「岩井俊二監督の作品だな」とわかります。
フェルメールと岩井俊二監督の共通項
岩井俊二監督の作品を見るたびに思い出す画家が、「光の画家」と称されるフェルメールです。
日本でも大人気の画家で、美術展が上野を中心に何度もひらかれていますね。
美術鑑賞好きの友がいるのでよく一緒に見に行くのですが、フェルメールの作品は点数こそ少ないものの、きれいな青、白色で表現された光、その対称で描かれる影の部分、これらの美しさが強烈な印象を残してくれます。
差し込む光と、その対称として影の部分も描かれている。
明暗差のある空間づくりで、そこにリアルな息遣いを感じさせるような巧みな技。
この絵の美しさには、言葉を失います。「真珠の耳飾りの少女」。
ここで見ておきたいのは真っ黒な背景。耳飾りの輝き(光)、目の中の光、そしてくちびるの艶(光)です。
この光の表現が、少女のリアルさ、迫力を生み出しているよう。
不思議なものですが、光があって影がある景色、彼らの作る画はいずれも美しく見え、何よりリアルな印象を受けます。
岩井俊二監督の作るシーンは、人が普段見ている景色とちょうど同じくらいの光量バランスで構成されているのでしょうか。
謎のリアリティ。
なのにきわめて美しい。
両方を成立させてしまう岩井俊二監督スゴイ。
※逆説的に言えば、「わたしたちの見ている現実こそ美しい──」とかかっこいいオチにもできる(だが言わない)
原作のあるものの映像作品化は、監督次第でまったく別のものに仕上がりますが、「なぞの転校生」「花とアリス」「リリイ・シュシュのすべて」「リップヴァンウィンクルの花嫁」たちは岩井俊二監督のもとで制作されて正解だったろうと思えてならないのです。
岩井俊二監督の作品を見る機会があれば、場面ごとに出てくる「光」にぜひ注目してご覧ください。